エオルゼアの世界に限らずRPGの主人公はいわゆる「お使い」に行かされることが多い。
“誰誰さんに○○を届けて”的なお使いのクエスト。そのクエストをクリアするとギルやアイテムなどの報酬がもらえる。
めんどくさいなぁと思うこともあるけれど、よく考えると、とても平和的で優しい思いやりの世界なんだなぁと思う。
仮に「エオルゼア」でない世界 … 例えば「リアルゼア」という名で定義する世界があったとして。そのリアルゼアでは“破綻しかけている資本主義”という経済の仕組みで世界が回っていて。
その世界では少数の「雇う者」と多くの「雇われる者」が存在し、「雇われる者」は労働力を対価に「雇う者」からお金を得て生きている。それがその世界の“常識”であり、当たり前の普通の人の在り方。
でも、そのリアルゼアでは「雇う者」「雇われる者」という聞こえは綺麗な言葉で区分されているけれど、それはただ綺麗な言葉で言い換えられているだけで、実際は「支配する者」「支配される者」もしくは「搾取する者」「搾取される者」という関係でしかなく、極端に言うと、一方が自己満足を叶えて贅沢三昧をするためだけに、もう一方が最低限の生きるためだけの報酬でキツイ労働を強いられるといういわゆる奴隷的な関係でしかない。
そのリアルゼアの世界では多くの人たちが疲弊し、だんだんと生きる気力もなくなり死んだ魚のような目で誰にも優しくなれず日々を生きている。
…という世界があったとしたら、そんな世界はあまりに哀しいように思う。
それに対して、エオルゼアで冒険者がいつもやっている「お使い」… は、誰か困っている人がいて、その人の悩みを聞いてあげて解決してあげると、お礼にギルやアイテムをもらえる関係…そうやって生計が成り立つ世界。
それぞれみんなが、誰かのことを想って、助けてあげて、そしてお礼に何かを差し出して…みんなそれで生活が成り立つ世界。
もしそんな世界が存在できたら、みんな優しい心で毎日暮らせるんじゃないのかな。
そんな優しい世界があったとしたら、きっと争いもなく真の平和が訪れるんじゃないのかな。
…毎日お使いをしていたら、そんな風に思えるようになってきました。
いつか、みんながみんな、誰か出会った人、隣の人すべてに優しくなれる世界ができたらいいな。
そういう人たちで溢れかえった世界ができあがったらいいな。
この世界の「お使い」にはそんな平和への祈りが込められていたんじゃないのかな。
…なんだかそんな風に思えてきたのでとりあえず書き記しておきます。